日本のウイスキーやワインが海外からも高い評価を受けるようになってきたが、チーズにも同じ動きが広がっている。ここ10年の間にチーズ工房が次々と設立され、なかには国際的なコンクールで賞を取る製品も出てきた。この流れを牽引するのは、酪農王国・北海道のチーズ工房だ。原材料である生乳の産地ならではの、質の高いナチュラルチーズづくりが盛んになっている。
日本のチーズ総消費量は、1990年度から2015年度までに2倍以上に増加。この間、国産ナチュラルチーズの生産量もおおむね右肩上がりで推移してきた。
大手乳業メーカーを除く国内のチーズ工房の数も、2010年・約150カ所から2016年・284カ所まで増加し、全国で特色あるナチュラルチーズがつくられるようになってきた。なかには国際コンクールで上位に入賞する質の高いチーズもある。
なぜ、チーズの質が上がってきているのか。北海道で、酪農家から集めた生乳を乳業メーカーなどに販売し、牛乳・乳製品の安定供給を担うホクレンの大沼正宜さんはこう語る。
「牛乳や乳製品の味は生乳の質によって大きく変わります。ホクレンでは酪農家とともに常に乳質の改善に取り組んできました。たとえば近年は、トレーサビリティシステムの構築と生乳の温度管理、生乳の衛生管理の奨励、牛の飼養環境改善と牛の病気予防などに力を入れてきた結果、生乳の衛生品質は飛躍的に向上し、その品質は世界トップクラスになりました。生乳の品質が高まれば、牛乳・乳製品の品質も上がると考えています。」
近年、牛乳やチーズが美味しくなったと言われる理由の一つは、生乳の品質向上にあるといえるだろう。さらに大沼さんは続ける。
「日本のチーズ消費量のうち約9割は輸入チーズです。国産チーズは価格面で海外の大手乳業が製造した輸入チーズには勝てないのが現状です。しかし、新鮮さが重視されるナチュラルチーズや、付加価値の高いチーズであれば、輸入製品とも勝負できると考え、差別化された商品の製造に取り組む生産者や工房も増えています。」
「北海道ではこの10年の間にチーズ工房が多く設立され、品質もグッと上がりました。我々も酪農家の拠出によって北海道産生乳を原料としたチーズフェアを開催するなど、チーズの需要拡大に取り組んできました。そんな動きを私たちも支援していきます」
全地域にまんべんなく酪農地帯が広がる北海道では、酪農地帯を歩けばチーズ工房に当たるというくらい、さまざまなチーズ工房が点在する。
その数、140カ所以上。それぞれが気候や風土を生かし、絞りたての生乳を原料に多種多様なチーズをつくっている。
北海道の東部、釧路にほど近い白糠町(しらぬかちょう)は紫蘇の栽培とともに酪農も盛んで、もちろんチーズ工房もある。高品質なイタリアンチーズをつくる「白糠酪恵舎」だ。代表取締役の井ノ口和良さんは設立の経緯をこう語る。
「酪農王国といわれる北海道なのに、乳製品の食文化が根付いていないことを疑問に感じていました。」
「北海道の美味しい生乳からつくった乳製品を、もっと地元の人に味わってもらいたい。そう考えて2001年、地元の酪農家とともに工房を立ち上げました。」
「私たちのつくるのは、日本の食文化に合うモッツァレラやリコッタなどのイタリアンタイプのチーズです」
フランスもイタリアもどちらもチーズの本場だが、種類は大きく違う。フランスでは、そのまま食べてワインに合う味の濃いチーズが中心。一方イタリアでは、ピッツァやカルパッチョ、リゾットなど、料理とともに使われるチーズが多い。
日本の食文化に合うのはイタリアのチーズだ。そう考えた井ノ口さんはイタリアに渡り、現地のチーズ工房で修行を積み、本場の製法を身につけてきた。
酪恵舎のチーズづくりのこだわりは、毎朝の生乳の仕入れから始まる。使っているのは、工房から車で5分以内の場所にある地元牧場の生乳のみ。生乳の新鮮さを重視しているからだ。
工房への輸送時には、できるだけ振動させないよう、細心の注意を払いながら運ぶ。工房へ生乳を受け入れる際も、ポンプを使って一気に抜き取るのではなく、高低差を使って自然に流れるようなかたちにしている。なぜそこまで手間のかかる方法を採るのか、白糠酪恵舎の及川由博さんは説明する。
「生乳は運んだり移し替えられたりするうちに揺さぶられると、脂肪球が壊れ、味が落ちてしまいます。生乳は本来、子牛が直接お乳から飲むもので、お母さんの愛情が詰まっています。」
「その愛情をできるだけ壊さずに、それをどうチーズに残していくかを製造過程で常に意識しています。」
徹底した鮮度管理により仕入れた生乳でも、その質は日によって変わる。人間と同様に牛も体調は毎日変わり、それによって乳質が変わるからだ。チーズをつくる工程では、本場イタリアの伝統的な製法に従いながらも、乳質を見極めながら微調整することが欠かせない。
生乳の脂肪量、その日の気温や湿度など、さまざまな要素を考慮して、これまで積み上げてきた膨大なデータと付け合わせて、最適なバランスを探る。
最終的には長年培われてきた勘が頼りだ。マニュアルどおりにはいかない、まさに職人の仕事だ。
酪恵舎ではこうしてつくったチーズを週2回、新鮮なうちに地元顧客のもとへ配達している。卸売業者に販売し、全国に広く流通させた方が効率的だが、そうはしない。「美味しいチーズを新鮮なうちに、まずは地元の人に味わってもらいたい」と考えているからだ。
20種類近くのチーズをつくっているが、フレッシュタイプなら「モッツァレッラ」が代表だ。イタリアの伝統的な製法をベースに、日本人に合うなめらかな口当たりに仕上げている。
柔らかくジューシーで、ミルクをそのまま食べているかのよう。
「リコッタ」は、モッツァレラなどの製造時に出るホエー(乳清)を加熱してつくるチーズ。ミルクの風味やナッツのような甘みが特徴。牛乳好きにはたまらないフレッシュなチーズだ。
熟成タイプなら「トーマ・シラヌカ」が特徴的。柔らかで口溶けがよくやさしい味わい。少しの熱で溶けるので、トーストや野菜に載せて少し温めて食べると、より味わいが増す。
白糠酪恵舎のハードタイプは「モンヴィーゾ」。熟成の旨みりと、ほくほくとした食感が特徴で、パスタにかけても美味しく、そのままかじって赤ワインにも合う。
白糠酪恵舎のチーズを味わうなら、Webショッピングやふるさと納税で取り寄せる方法がある。それでももちろん美味しいのだが、「できれば現地で、できたてを味わってもらいたい」と井ノ口さん。
たとえばモッツァレラなら毎週月曜日、木曜日に製造しているので、当日の夕方に来店すれば、できたて、切り立てを購入できる。生乳から徹底的にこだわった極上のフレッシュチーズを味わうために、白糠町を訪れてみてはいかがだろうか。
1632年、当時の松前藩がアイヌとの交易を始めるために開設した拠点の一つが、白糠町の始まりとされる。現在も白糠アイヌ文化保存会が活動し、国の重要無形文化財に指定されるなど、アイヌと町の関わりは深い。「ふるさと祭り(8月)」「フンペ(鯨)祭り(9月)」「ししゃも祭り(10月)」など、アイヌ民族の伝統儀式や古式舞踊などに触れられる機会も多い。