近年、北海道では牛、豚、羊などに続き、新たな肉の普及活動が行われている。それがエゾシカ肉だ。かつては日常的な食材だったが、長年の禁猟期を経てシカ肉を食べる習慣や文化が廃れてしまった。しかし、近年は処理施設の整備により、かつてと比較にならないほど味も質も向上している。食肉の一大産地である北海道が、本格的に推す食材だけあり、人気沸騰となるのも時間の問題だろう。
北海道のみに生息するエゾシカは、ニホンジカの亜種だ。肉は脂が少なく低カロリーで高タンパク質なのが大きな特長である。さらに、現代人が不足しがちなビタミンB2や鉄分を豊富に含み、美容や健康によいと言われている注目の食材だ。
しかし「野生動物の肉はクセがあっておいしくないのでは?」という先入観を持つ人は少なくないだろう。
また、かつては衛生面、安全性などの課題もあった。これらをクリアにするため、北海道では行政と民間企業、そしてハンターなどの関係者が協力し取り組みが行われている。
北海道 環境生活部 環境局 エゾシカ対策課の黒田尚子さんは、「エゾシカ肉を多くの人に食べてもらうためには、安全安心が不可欠です。」
「そこで、北海道は、安全においしく食べてもらえるエゾシカ肉を提供できる環境の整備を行いました。」と語る。
2006(平成18)年度、北海道は全国に先駆けて「エゾシカ衛生処理マニュアル」を策定。標準作業手順や工程などについて具体的に示し、遵守を呼びかけている。
2014(平成26)年、厚生労働省が「野生鳥獣肉の衛生管理に関する指針(ガイドライン)」を策定し、現在は全国で野生鳥獣の衛生的な処理が推進されている。
では、実際エゾシカ肉はどんな調理法で食されているのだろうか?
エゾシカ肉などのジビエは、ソテーや煮込み料理が一般的だ。しかし、2012年から連続してミシュラン2つ星獲得している札幌・円山の料理屋 素(りょうりや そ)は、毎年秋になるとエゾシカ料理を供している。
メニューは当日の仕入れにより異なるが、この日エゾシカを使ったメニューは、「シカ肉出汁の湯豆腐」「シカ肉の生姜焼き」「焼きシカ肉」の計3品。
店主の姉崎貴史さんが「シカの出汁を味わってもらうために考案した」という湯豆腐の汁を口に含むと、ピリッとした辛味と濃厚でコク豊かな旨味が広がる。
野生動物特有のクセが一切なく、シカのバラ肉のスープとは思えない。肉は、ほどよく歯ごたえがあり鴨のローストに似た食感だ。肉本来の旨味も残っている。ネギと大豆の香り豊かな豆腐との調和が見事だ。
シカ肉の生姜焼きは、ロース肉なのにフォアグラのような食感。脂肪分が少なく上品で淡白な味わいに「これが野生のエゾシカか!」と驚きを隠せない。付け合わせの男爵いもは、もちろん北海道産だ。
コース料理の締めに、ごはんと味噌汁と一緒に出されたのが焼きシカ肉だ。脂の甘さと旨味が強いバラ肉は燻製のように個性的な風味。粘りと甘みが特長の米“ゆめぴりか”と相性抜群だ。
初めて食べるエゾシカ料理は、3品とも斬新に思えたが、奇をてらわず素材本来のおいしさを最大限に引き出したものばかり。シカ肉は固くて臭いという先入観が根底から覆されるとともに、今まで食べなかったことを後悔せざるを得なかった。
ミシュラン2つ星獲得店として多くの食通にも知られる料理屋 素の店主 姉崎さんは、京都と高松の割烹料理店で修行を重ねた後に、札幌で料理屋 素をオープンした。
「エゾシカ肉はとてもよい素材だと思うし、北海道で日本料理を作るならぜひこの食材に挑戦したいと思いました」と語る。
北海道滝川生まれの店主にとって「北海道は空気も水もおいしいし、作物も家畜も育ちやすい。周りを海に囲まれているが場所により捕れるものが違う」のも大きな魅力と感じているようだ。
姉崎さんは、毎日市場に出向き、その日気に入った素材を見つけてからメニューを決める。
道外からのお客さんには、意識して地元の食材を使った料理を出すようにしているが、料理や素材に対する予備知識がなくても、十分楽しめるものばかりだ。
この日のコースは、先付が道産シシャモの背越し。地元では刺し身として提供されることも多いが、「骨の周りや皮のそばの旨味や柔らかい骨も味わってほしい」という姉崎さんの想いが料理に込められている。
椀物は、きんきの菊花椀。炭焼きにした“きんき”の赤い皮目と黄色い花びらのコントラストが美しい。切り身の脂が溶け込んだ出汁からは、秋の清々しい香りが漂う。
刺し身は、活けタラバガニを3時間前にさばいたもの。トロンとした食感で臭みがまったくない。濃厚な甘みと旨味が口いっぱいに広がり「北海道に来てよかった!」と心から思える味だ。
薯蕷(じょよ)蒸しは「いくらがメインの料理を作りたかった」という店主渾身の作。すりおろした北海道産の山芋を蒸し、仕上げに海苔といくらをあしらっている。生クリームのようになめらかな舌触りとプチプチした食感の組み合わせは見事!
焼き物は北海道の羽幌で捕れたニシンの蒲焼き。炭焼きした後にワラで燻して秋の香りを出している。濃厚なニシンの脂と甘辛いタレの組み合わせがマッチし、目をつぶって食べたら鰻(うなぎ)と間違えてしまいそう。
デザートの柿とみかんのムースまで、一見味が想像し難いものばかりだが、口にするたび驚きと感動が止まらない。1度訪れるとリピーターになる人も多いのも納得だ。
料理屋 素は予約制だが、けっして敷居を高くしているわけではない。仕入れから料理まで自分一人でやっているため、突然来店されても対応ができないからだそうだ。
「お昼も営業しているので気軽に予約してください」(姉崎さん)とのこと。人気店のため、観光シーズンなど予約が取りにくいかもしれないが、北海道に来たらぜひ訪れたい名店だ。
料理屋 素
【Webサイト】
http://www.ryouriya-so.jp/
近年、エゾシカ肉は希少な存在だが、かつては身近な食材として日常的に食べられていた。
アイヌの人々にとって、エゾシカは重要なタンパク源であるとともに、毛皮や角も活用されたとみられている。
明治初期以降、エゾシカは大雪や乱獲などにより絶滅寸前となり、保護政策として禁猟となる。その後、天敵であるオオカミが駆除された影響などで生息数が急増し、2010(平成22)年度時点で推定68万頭まで増加した。
生息数の激増は、農作物の踏み付けや採食など生態系に大きな影響をもたらし、多額の被害が生じている。2016(平成28)年度、道内で鳥獣による農林水産業の被害額は推定46.75億円、このうち農業の被害は推定38.5億円にのぼる。被害の大半はエゾシカによるものだ。