「懐かしいようでどこか異質」という鹿児島で感じた不思議な感覚の答えがわかった。昆布だし、かつおだし、フォン・ド・ボーノ、フォン・ド・ジビエ、フュメ・ド・ポアソン、鶏湯(ジータン)、乾貝湯(ガンベイタン)など世界中でさまざまな「出汁(だし)」が料理に用いられているが、それらに共通するのはイノシン酸やグルタミン酸などのうま味成分だ。うま味の創生は、その土地々々の文化と密接な繋がりがある。鹿児島県は、黒潮文化と大和文化の潮目に位置する。つまり、豚骨や鶏ガラなどアジア由来のダシと昆布や鰹など日本古来のダシのハイブリッドが鹿児島県人標準の「うま味」なのだ。
鹿児島県を始め南九州一円で14店舗の飲食店を展開するさつま麺業株式会社 代表取締役社長 山下大介さんは、鹿児島の食文化について「いろいろ工夫しないとおいしくないという意識があるようです」と考えている。
「九州は豚骨ラーメンというイメージが強いでしょうが、僕ら鹿児島人から見ると、福岡のラーメンと鹿児島のラーメンは違うと思います。
福岡のラーメンは豚骨100%が一般的だけど、鹿児島では、豚骨に丸鶏スープやいりこ・昆布など複数の出汁を合わせます。出汁は組み合わせることでよりうま味が濃くなるんです」
うま味成分は、主にグルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸の3つがあり、複数の種類を組み合わせると、うま味の相乗効果でおいしさが飛躍的にアップすることがわかっている。ところが、鹿児島では、うま味が科学的に証明される前から、かつおやいりこ・昆布に代表される日本文化由来の出汁に、豚骨や丸鶏スープなどの動物系の出汁を使い分けたりブレンドしたりする独自の豊かな出汁文化が根付いているのだ。
山下社長は、鹿児島独自の出汁の特長について、「黒潮文化と大和文化のどちらも当たり前のように受け入れてきたせいか、出汁も複数の種類を合わせたり、使い分けたりするのに慣れ親しんでいるのだと思います」と語る。
山下社長は「もっと出汁の風味や文化を知ってもらい楽しんでほしい」という想いから、県内の生産・食品加工・流通・観光関係企業、有識者や料理人などに声をかけ、2011年から出汁をテーマにしたプロジェクトの準備を始めた。これが「出汁の王国・鹿児島」プロジェクトである。
2012年から出汁に関する学術研究、食育などの啓蒙活動やイベント、ツアーなどを実施している。2013年に和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたことも追い風になり、出汁プロジェクトへの注目度は、年々上昇している。
2019年5月現在、12社が参加しているプロジェクトは、かつお、昆布などの出汁素材にとどまらず、うま味と香りを抽出したものの全体を対象としている。参加企業のコラボ商品もリリースされ、和食やラーメンだけでなく、調味料、お茶などさまざまな視点から食を通じてアプローチができるのも特長だ。
さつま麺業が展開する飲食店は、和食レストラン「麺どころさつま」、石臼そば「がんこ庵」、ラーメン「仏跳麺」があり、いずれも天然出汁にこだわったつゆやスープが自慢だ。ラーメンのスープは、生の豚骨、赤鶏のガラと丸鶏、玉ねぎ・人参・ねぎの香味野菜と魚介系出汁を贅沢に使い、20時間かけて煮込む。豊かな香りと奥行きあるうま味がありながら、後味サッパリだ。
外食産業の中でも、ラーメン店は化学調味料や濃縮スープを使用するお店が多いが、山下社長は「創業者である父は、素材から出汁を取った本物の味と香りが好きだったんです。私も子供の頃から食べ慣れた味ですし、『その方がおいしい』と思っています。」と濃縮スープを使わない理由を教えてくれた。
さらに、香りとうま味の密接な関係について「私たちは、舌で味を感じるだけでなく、空気が鼻の粘膜を通り過ぎるときに、香りを認識します。人間は、この香りを味と誤解してしまうんです。出汁を飲んだ後、香りが鼻を抜けるときに、複雑な美味しさを感じているんです」と山下社長。
化学調味料や濃縮スープも良いが、素材から丹念に取った出汁の香りにはかなわない。幼い頃から本物の味に慣れ親しむことは、食育にとどまらず、文化であると山下社長は考えている。つまり、出汁プロジェクトは、食文化の継承であり啓蒙でもあるのだ。
味覚センスに優れた人が多い鹿児島では、出汁にこだわる飲食店が多い。銀座にも店舗があり、黒豚料理で地元鹿児島の人気を博す「いちにぃさん」も、かごしま黒豚・黒牛と出汁にこだわる銘店である。
名物である黒豚しゃぶしゃぶは、かごしま黒豚を湯にサッとくぐらせ、一番出汁と追いがつおを効かせたそばつゆで食べるのが特長だ。豚肉をつゆにつけると、口に入れる直前からかつおと昆布独特の爽やかでまろやかな香りがフワッと鼻をくすぐる。
他にも「黒豚しゃぶそば」やじっくり柔らかくなるまで煮込んだ「黒豚とんとろ煮」など、かごしま黒豚・黒牛を使った料理や、かつお・きびなご・さつま揚げなど鹿児島の郷土料理なども楽しめる銘店だ。
和食の出汁と言えば、昆布やしいたけなどもあるが、一番馴染み深いのはかつお節だろう。かつお節の名産地、枕崎市にある中原水産では、地元のかつお節を使った加工食品や出汁の販売、出汁を使った実演教室を開催している。
中原水産株式会社 代表取締役である中原晋司さんによると、「枕崎市はかつお節の特産地ですが、かつお節について詳しい話を聞き、工場見学や出汁体験をできるところがなかったので、淹れたての出汁を味わいながら商品をじっくり選べる店を作りました」と説明する。
中原水産では、かつお節を気軽に味わえるように加工した「薩摩海鮮かつ市」シリーズを展開している。一番の売れ筋は、本枯れ節と焼きあごなどの素材を絶妙なバランスでブレンドした出汁パック「本枯れ黄金だし」だ。本枯れ節を生地に練り込んだ「薩摩海鮮かつおせんべい」も人気商品である。
「伝統的なものを大切にしつつも、もっと多くの人に『かつお節はおいしい!』と思ってもらいたい。そこで手軽な商品をきっかけに、伝統的なかつお節にも興味関心が広がるとうれしいです」と中原社長は語る。
うま味にこだわる企業が賛同している出汁プロジェクトでは、参加企業のコラボによる新商品も続々誕生している。
鹿児島では黒酢のトップシェアを誇る坂元醸造株式会社とのコラボで誕生したのは、「だし黒酢ジュレ」だ。鹿児島の特産品、黒酢とかつお節の組み合わせは、まろやかな酸味と出汁のうま味が相まっている。サラダ、揚げ物、豆腐、和え物など、さまざまな料理に合わせやすい調味料だ。
また、鹿児島では、伝統的な栄養ドリンクとして愛飲されて茶節をブレンドした「旨味茶節」も出汁プロジェクト参加企業同士の協力で誕生した。
「旨味茶節」に使われている味噌は、出汁プロジェクトにも参加している、藤安醸造株式会社のもの。味噌とかつお節のダブルのうま味の後に、緑茶の清涼感が広がる。飲んだ翌朝に飲めば気持ちもスッキリ。一度飲んだらハマってしまう味だ。
中原社長によると、出汁に興味がある人は増えているものの、かつお節の削り方、出汁のとり方などノウハウがわからないという方も少なくないそうだ。そこで、国内だけでなく海外でも「だし取り教室」を開催している中原社長が、家庭でも手軽にできる出汁のとり方を教えてくれた。
まずポットに200mlの軟水と昆布3gを入れてからボタンを押すだけ。600Wのレンジで4分加熱でも良いそうだ。
「60度で60分加熱がベスト。沸騰させるとヌメリが出てしまいます」と中原社長。
風味豊かなかつお出汁を入れるために、一番大切なのは削りたてのかつお節を使うことだそうだ。
自宅で削るのが難しい場合は、小分けタイプの削り節を使うと良い。「削ってから10分経つと50%ぐらい香りが飛び、1時間経つと90%以上の香りが飛んでしまうんです」
かつお節は、上品で柔らかな味わいを好むなら本枯れ節、強い香りが好みなら荒節がオススメ。2つをブレンドすると両者の長所がより引き出される。昆布だし200mlに対しかつお節6gを目安に、昆布だしを入れて3分置けば、かつおと昆布の合わせだしの完成だ。
削りたてのかつお節で取った出汁は、上品で爽やかな香りが別格。口に含むとまろやかでやさしい味が体に染み込むのがよく分かる。10分足らずで高級料亭にも負けない本格的な出汁が家庭でも手軽に味わえるなら、ぜひ試したい。