山口県防府市にある「防府天満宮(ほうふてんまんぐう)」は日本最初の天満宮である。この防府天満宮は、高杉晋作にとって思い入れ深い神社だ。
菅原道真公を天神様として崇める天神信仰は、幕末維新の時代も一般的だったが、晋作は単に天神様を信仰していたではなかった。道真公は憧れの存在として人生の手本としていたのである。
防府天満宮に祀られているのは、学問の神様「菅原道真公」だ。小さい頃より学問に優れた道真公は出世を重ねて右大臣に就任した。しかし、ライバルの左大臣藤原時平に無実の罪を着せられ、大宰府への左遷を命じられる。
道真公は、大宰府へ下る途中に防府を訪れたとき「願わくはこの地に住まいを構えたい」と願ったが、903年道真公は大宰府で亡くなる。904年道真公の生前の願いを叶えるために建立したのが防府天満宮である。
防府天満宮は、日本最初の天満宮であるとともに、道真公の生前の想いを形にした神社なのだ。
晋作は天神様を信仰していただけでなく、道真公の生き様に憧れ尊敬の念を抱いていた。
高杉晋作は、自分こそ本当の道真公ファンだと思っていたのかも知れない。晋作にとって道真公は、憧れの存在であると同時に心の支えでもあったのだろう。
防府天満宮といえば、学業成就、受験合格祈願の「合格はちまき」が有名で多くの受験生が参拝に訪れる。
平成三年に茶室芳松庵を建立。庭内の一角には勤皇の志士達が密議を交わした史跡暁天楼も建っている。緑豊かな庭園の四季の移ろいを楽しめる。
防府天満宮の境内にある「暁天楼(ぎょうてんろう)」は、ぜひ訪れたい史跡だ。もともと旅館「藤村屋」の離れとして神社の門前に建てられ、一見漬物小屋に見えるが、2階には隠れ座敷が設けられている。
高杉晋作、伊藤博文、坂本龍馬などの志士が密会したと伝えられている。
この場で名だたる志士たちが議論を重ね、日本の将来を語り合った様子が今にも伝わってきそうな雰囲気だ。
防府天満宮の境内には、古都を彷彿させる佇まいの中にいくつかの幕末維新スポットがある。歴史館(宝物館)に併設された明治維新室は、高杉晋作を始め防府天満宮と縁の深い幕末志士が身につけた品々や資料などが展示されている。
かつて伊藤博文も記念撮影をしたという春風楼(しゅんぷうろう)は、2層の楼閣様式の建物だ。階段の前に立てば、伊藤博文と同じ場所で記念撮影ができる。階段を登ると、防府市の街並みが一望できる。
そして、高杉晋作が激論を交わした大専坊は、伊藤博文が幼少期を過ごした場所でもある。
旧萩藩主毛利氏ゆかりの地としても知られる防府市は、東大寺別院阿弥陀寺、周防国分寺、護国寺などの多くの神社仏閣が建ち、まるで京都のような景観が広がる街並みだ。
防府市多々良にある毛利氏が建てた邸宅の一部は毛利博物館として公開されている。国宝や重要文化財をはじめ毛利氏ゆかりの品を間近で見られるのは歴史の街防府市ならでは。
毛利博物館のある「毛利氏庭園」は、四季折々の花が咲き誇り、いつ訪れても違った美しさが楽しめる。かつての毛利氏の繁栄を偲ばせる絶景だ。