江戸時代、城下町として栄えた岩国は、今でも江戸時代の建物が点在し、当時の趣が残るところだ。市内に流れる錦川沿いは桜や紅葉の名所でもある。錦川にかかる錦帯橋(きんたいきょう)は、岩国城とともに街のシンボルである。
小説「宮本武蔵」では佐々木小次郎が燕返しの術を得たと記され、時代小説ファンにも人気の場所だ。
1673年に完成した錦帯橋は、岩国市を代表する名所だ。アーチを描く木造橋は、世界でも珍しいとされている。石造りの土台と組木技法は300年以上も前の技術だが、現在も非の打ち所がない技と称されている。
錦帯橋が完成した翌年洪水で一部流失したが、それから276年の間、錦川が水害や洪水を繰り返しても流されなかったという頑丈な橋だ。
1673年、岩国城の近くを流れる錦川にかけられたアーチ橋。木造ながら276年もの間水害や洪水に耐え、流出しなかった頑丈な橋である。桜や紅葉、冬景色など橋を彩る四季絵も美しい人気スポット。
夜になるとライトアップされ、暗闇の中に明るく浮かぶ錦帯橋も趣がある。2月の梅に始まり、春は桜・つつじなどの花々が咲き誇り、夏は鵜飼、秋は紅葉、冬は雪景色と、季節ごとに違う美しさを魅せ、繰り返し訪れる観光客も多い。
岩国城ロープウェーに乗り、標高約200mの城山の山頂からは、錦帯橋と錦川の清流、遠くは瀬戸内海の島々まで見下ろすことができる。
山口県の東端にある岩国は、江戸へと向かう志士たちにとって故郷に別れを告げ、新たな出会いへの第一歩だった。松陰は、長州と江戸を往来するとき何度も山陽道を通った。岩国市の山陽道沿いには、吉田松陰宿泊の地、吉田松陰東遊記念碑など、松陰ゆかりの史跡が残っている。幕末の英雄、吉田松陰にとって岩国は人生の岐路だったようだ。
1853年、江戸に向かう途中に岩国に立ち寄ったとき、錦帯橋のそばに設けられた目安箱と「藩政に不満があれば、身分を問わず訴えて欲しい」と書かれた掲示文に感銘を受け、「掲示文がとても素晴らしかった」と日記に記している。
身分を問わず学びたい者を受け入れ議論を重ねた吉田松陰の想いは、すでに岩国でも根付いていたのである。
その後、安政の大獄により、1859年吉田松陰は江戸へ護送される。岩国市の東端を流れ、広島県との境である小瀬川を通るとき、吉田松陰は次のような歌を詠んだ。
「夢路にもかへらぬ関を打ち越えて今をかぎりと渡る小瀬川」
吉田松陰は、夢の中でも長州藩へ戻ることはできないという覚悟を決めていた。この歌の通り、間もなく吉田松陰は29歳で処刑される。現在、小瀬川にはこの歌を刻んだ吉田松陰歌碑が建てられ、当時の様子を偲ばせる。
岩国・小瀬川の河原に近いこの地は、安政の大獄によって吉田松陰が江戸に護送される途中に惜別の歌を詠んだ場所。ひっそりと建つ吉田松陰歌碑は志半ばで命を落とした彼の想いが伝わってくる。
錦川の畔に建つ岩国国際観光ホテルは、錦帯橋と岩国城が同時に眺められる温泉ホテル。川側の客室からはもちろん、絶景の湯「いつつばしの里」やレストランや宴会場からも岩国城と錦帯橋を同時に眺められる。
運がよければ、朝もやの中に錦帯橋が浮かぶ風景を見ることができるかも。
錦帯橋と錦川を借景に望む岩国国際観光ホテルは、旬の海の幸が豊富な料理と絶景露天風呂が評判のホテル。季節ごとに変わる景観が目的のリピーターも多い。花火や錦帯橋鵜飼の穴場スポットとしても人気だ。
ホテルと温泉棟をつなぐ通路は、錦帯橋で使用していた木材を再利用し、錦帯橋の修復工事を行った棟梁が仕上げている。なだらかに美しくアーチを描く通路を歩けば、匠の技の凄さに驚かされるだろう。
岩国郷土料理を食べるなら「岩国寿司」をぜひ味わいたい。江戸時代、岩国藩主が山の上に建つ岩国城へ運搬しやすい食べ物を作るよう命じたことが誕生の由来とされ、別名「殿様寿司」とも呼ばれている。